【キュリー夫人ってどんな人?】ラジウムの発見と白血病の 壮絶な人生

キュリー夫人ってどんな人?

 

「~キュリー夫人の論文ノートは、今でも強い放射線を放っている~」

キュリー夫人は優れた物理学者・化学者であり、2度にわたるノーベル賞を受賞したことでも有名です。

しかし、彼女が亡くなってから約90年経った現在でも、彼女の残した遺品や家財道具、ノートにいたるまで危険なほどの放射能を帯びていることを知っていますか?

人生の最期には再生不良性貧血(海外では白血病という表記が多い)が原因で亡くなった、マリー・キュリー(以下マリー)という人物をあらためて紹介します。

目次

キュリー夫人の生い立ち

キュリー夫人は1867年11月7日、ポーランドのワルシャワで5人兄弟の末っ子として生まれました。

ポーランド人としての名前は、Maria Salomea Skłodowska-Curie(マリア・スクウォドフスカ-キュリー)。

フランス人の伴侶ピエールとの結婚によって「マリー(Marie Curie)」、「マダム・キュリー(キュリー夫人)」と呼ばれるようになります。

マリーの両親は、ともにポーランドの低い貴族階級出身で、父は科学者、母も教育者でした。

両親は彼女に高い水準の教育を施しますが、当時ポーランドはロシアの支配下にあり、女性が高等教育を受けることは違法でした。

マリーは自身の教育を続けるためにフランスのソルボンヌ大学で勉強することを決心し、1891年にパリに移住します。(当時23歳)

夫ピエール・キュリー

マリーはパリで勉学を終えたら祖国ポーランドへ戻り、国の独立のために働きたいと考えていました。

アパートの屋根裏部屋で苦学生活をおくっていたマリーに人生の転機が訪れます。

1894年春に8歳年上の物理学者、ピエール・キュリーと出逢い、熱烈なプロポーズを受けたのち1895年7月26日に結婚。(当時27歳)

このふたりは、科学への情熱を同じくする同志として夫婦で研究・実験に没頭していきます。

1897年9月12日、29歳のときに長女イレーヌが誕生。

イレーヌは後に人工放射性元素の研究でノーベル化学賞を受賞することになります。

ポロニウムとラジウム発見、ノーベル物理学賞

 

二人の生活はつつましく、実験につかった部屋は雨漏りだらけの粗末な小屋でした。

1896年にフランス人の物理学者アンリ・ベクレルが、ウランが自然に放射線を発生することを発見します。これが実質の放射能の発見となりました。

この発見を受け、キュリー夫人とピエールはウラン以外の元素を研究。ウランの放射線の300倍も強い放射能の分離に成功。

新しい放射性の元素ポロニウム(1898年6月)、つづいてラジウム(1898年12月発表)を発見しました。

この発見の功績が認められ、1903年、ベクレル、ピエール、マリーの3人がノーベル物理学賞を受賞しました。

キュリー夫人は、ノーベル賞を受賞した最初の女性となりました。

1904年には次女エーヴ・キュリー(1904年12月6日 – 2007年10月22日が誕生。エーヴは後にキュリー夫人の伝記を執筆。

夫ピエール・キュリーの事故死

1906年4月19日、夫のピエールが馬車にはねられ事故死。

突然の死でした。

マリーはピエールの後任としてソルボンヌ大学で講師となり、1908年にソルボンヌ初の女性教授となりました。

2度めのノーベル賞(ノーベル化学賞)

 

1911年に放射性物質ラジウムとポロニウムの発見と研究が認められ、2度目のノーベル賞であるノーベル科学賞を受賞しました。

1903年のノーベル物理学賞に続く、2度めの1911年のノーベル化学賞の快挙です。

女性の社会的地位が低かった時代に、このニュースは世界の注目を浴びました。

(当時は授賞式出席するにあたり、スキャンダルや女性蔑視などいろんな問題がありました。)

ノーベル賞を異なる部門で2回受賞した人物は、マリーが初めてであり、現在でも他にいません。

第一次世界大戦で、兵士を扱うための携帯用X線を開発

 

1914年、第一次世界大戦が勃発。

マリーは研究の手を止め、放射能の分野で兵士を救うためのX線装置の開発にとりかかりました。

そうして開発されたのが、「リトル・キュリー」という名のX線装置を備えた救急車です。(原始的なレントゲンといったところ)

救急車を運転するために、自ら運転免許を取得し、自分で運転して負傷兵たちの救うためレントゲン写真をとりました。

娘のイレーヌも戦場で負傷した兵士の治療を手助けするために、母とともに放射線技師として働きました。

キュリーは金のノーベル賞メダルをフランスに寄付しようとしましたが、拒否されています。

ラジウムフィーバー

 

放射性物質は1940年代半ばまで、その危険性と健康被害についてわかっていませんでした。

世界中で「放射能は健康にいい」、「ファッショナブル(発光特性)」などというラジウムブームがおこります

この時代、ラジウムはさまざまな生活用品に使われました。

医療に関しては、ほとんどすべての病気にラジウム治療が行われました。

他に、注射針、ラジウム入り歯磨き粉、化粧品、ラジウム入りチョコレート、時計の文字盤の夜光塗料、クリスマスツリーのライト、、など多くの生活用品に使用されました。

これらは、「ラジウム・クレイズ」といわれています。

アメリカでは多くの女性に健康被害を与えた「ラジウムガールズ」(1917~1938)という事件が起き、ようやくラジウムの危険性が認識されることになったのです。

1910年から1950年がラジウム製品ブームのピークであり、モノによっては1970年代ごろまで作られ続けていたラジウム商品も(子供用のおもちゃ含む。。)もあります。

発見されていないラジウム物質が現代もある

20世紀に起こったラジウムブームの爪痕は、現代ものこされています。

ブームの先導的場所だったパリでは、いまだに130の場所が汚染の疑いがあり、うち40の場所は除染の対象区域に指定されています。

また、ラジウム商品は未だに世界中のどこかで保管されている可能性があります。

日本でも、2011年に東京の民家の床下から毎時600マイクロシーベルト(年間5,256ミリシーベルト)のラジウム時計が発見され、大問題になりました。

 

キュリー夫人のノートは現代も強い放射能を帯びている

 

マリーが遺した論文ノート、家財、服、料理本にいたるまで放射能で汚染されています。

マリーも夫のピエールもポロニウムとラジウムのサンプルがはいった瓶をポケットに入れたままで過ごし、寝室で夜間の照明としてサンプルを保管していました。

実験室にはさまざまな放射性物質が無造作に置かれていました。

ピエールの死の直接の原因は馬車の事故ですが、激しい疲労と疼痛に苦しんでいたといいます。

マリーも晩年は同じ症状を訴え、長期にわたる放射線被曝が原因の再生不良性貧血、白血病によってなくなりました。( 1934年7月4日│享年66歳)

マリーの遺物の多くはフランスの国立図書館に保管されています。

これらは今でも危険な放射線を帯びているため、鉛で強化された箱に保管されています。

それらは今後1500年の間、非常に高い放射能を保ち続けるのです。

 

彼女の娘イレーヌもノーベル化学賞を受賞

 

マリーとピエールが1903年にノーベル賞を受賞したとき、長女のイレーヌは6歳でした。

マリーの娘、イレーヌは1935年に夫のフレデリック・ジョリオ=キュリーと共同でノーベル化学賞を受賞。

長女のイレーヌは長い放射線暴露による影響から1955年に急性白血病を発病し、1956年3月17日に59歳の短い生涯をとじました。

ちなみに、マリーのまわりの人物も次々に倒れています。

1923年から2年半イレーヌの助手として研究をおこなった日本人の山田延男氏は原因不明の体調不良を起こして帰国後翌年に亡くなり、元研究員が再生不良性貧血で死亡、助手も白血病で亡くなっています。

まわりがつぎつぎと原因不明の死を遂げる中、放射性物質と健康被害の明白な因果関係はなかなか証明されませんでした。

キュリー夫人の伝記をアメリカで執筆した次女のイヴは、102歳の天寿をまっとうしました。

パンテオンに眠る

1790年にパリ5区に建造されたパンテオンは、巨大な新古典主義の建造物であり、フランスの偉人を祀る霊廟です。

パンテオンの地下聖堂に眠るのは、ヴォルテール、アレクサンドル・デュマ、ジャン・ジャック=ルソー、ビクトル・ユーゴー、ルイ・ブライユなど、世界に功績が認められた偉大なフランス人。

マリーの死後、1995年に夫ピエールとともに最初の埋葬地であるパリ南部のSceaux Cemeteryからパンテオンに移されました。

彼女の体はラジウム226で汚染されていたため、鉛の棺に入り保管されています。

ノートと同じように今後1500年にわたり非常に危険な量の放射性を帯び続けるのです。

フェミニズムとキュリー夫人

キュリー夫人の功績は、20世紀の原子物理学の礎をつくったことにあります。

唯一の2度のノーベル賞受賞者であり、初の女性ノーベル賞受賞者となった女性です。

マリーの代名詞は「女性初の」という言葉がよくつきます。これはその生涯において、多くのジェンダーの壁をやぶったことに起因しています。

20世紀初頭は、社会や学問において女性に対する根強い偏見がありました。

キュリー夫人の場合、最初のノーベル賞はフランス病理学者シャルル・ブシャールに推薦されたものの、翌年フランス科学アカデミーの推薦状にはマリーだけが意図的に外されていました。

これは当時のフランス科学アカデミーに女性蔑視の風潮があったことを示しています。

2度目のノーベル賞はさらスキャンダルが起こり受賞や授賞式への参加が危ぶまれます。

マリーは「科学者とはその業績によって評価されるべきであり、性別や出身および私生活などではない」という強いメッセージを発しました。

マリー・キュリーは、祖国ポーランドを憂い、第一次世界大戦では自ら兵士の看護にあたり、女性蔑視の壁に立ち向かい、研究にその身を捧げました。

マリー・キュリーの放射性物質の発見はいったい何だったのでしょう?

まとめ

以上、「【キュリー夫人】ラジウム、ポロニウムの発見と白血病、ノーベル賞から考えること」の記事を紹介しました。

キュリー夫人の物語は何度か映画化されています。

わたしのおすすめは、キュリー夫人の半生と、放射能についての知識を得ることができるキュリー夫人」。

娘のイブの伝記がもとになっているため、キュリー夫人の伝記として見るには見応えがあります。

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複雑な想いを抱えながら、7月4日のキュリー夫人の亡くなった日にこの記事を書きました。

あなたの大切なひとも、あなたも、一日の始まりには「今日も美しい日だ」と思えますように。Byアルノも

 

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